安勢理岩陰遺跡

        a.所在地   与那城町字安勢理小字前田
        b.遺跡の種類  貝 塚
        C.遺跡の時代  沖縄貝塚時代後期終末
        d.遺跡の現況  畑地と原野


 饒辺集落の北西側約600mの地点で、丘陵台地縁端部近くに位置する。与勝第二中学校よ
り北へ約450mの地点。標高36m〜40m前後の石灰岩丘陵上となっている。遺跡の西側を屋
慶名川が流れており与那域町と勝連町の境界をなしている。遺跡の上方(東側)は台地が広がり
西側に斜面を形成する。遺跡は石灰岩下の半岩陰や斜面地前庭の小さな畑地にかけて形成さ
れており、二次堆積と見られる淡黄色土中に土器や貝穀が含まれている。貝穀片はマガキ類が
多く、土器片は細片で器型を知り得るものは見られないが、過去の表面踏査においては、くびれ
の平底土器が採集されており、沖縄貝塚時代後期終末頃とみられている。1956年(昭和31年)
に嵩元政秀氏によって発見され安勢理貝塚として命名されている。今調査においても狭小な畑
地や岩陰下周辺において土器片が採集出来たが細片で器形は知り得ない。


 註.「琉球列島貝塚分布と編年の槻念補遺(二)」
『多和田真淳選集j古稀記念多和田真淳選集刊行会
  1980年1月